山と自然の贈り物の記録
⑤若い頃・沢登りに夢中でした
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「山と渓谷社」ばかりではなく、「岳人」にも取り上げて頂きました。この表紙が新聞広告に載ったため
「アサギ同人」が、会津や越後などの忘れられた山域の開拓者として、知られるようになりました。
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・しかも、連載①~⑤まで、毎月10ページ程を割いていただきました。

「毛猛連山」は、西を「六十里越」で浅草岳に、東を「枝折峠」で越後駒ガ岳に結ばれているが、
北を「田子倉」「大鳥」「銀山」ダム、南を「黒又第一」「黒又第二」「赤柴沢」に取り囲まれた、
言わば、「水に浮かんだ山塊」でありました。 
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・沢登りといえば、これです。「焚き火」と「イワナ」です。現地調達のイワナは絶品です。
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・大鳥沢での懸垂下降です。右側、滝の落口には、大きなチョックストーンが挟まっていて、珍しい光景です。
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平ガ岳北面で尾瀬ヶ原の北面に当たり、扇形に広がる沢の本流ガ「大白沢」になります。
古い文献によると、右俣を「シロウ沢」左俣を「クロウ沢」と呼ばれ、平ガ岳に突き上げるシロウ沢は、
「遅くまで白く雪渓が残り」比べてクロウ沢は「黒い森に覆われている」ことから、それぞれの名前が
ついたものだと、言うことです。


・大白沢(おじらそう)からは、白沢山を越えて尾瀬・猫又川に下ったり、平ガ岳に登ったり、白沢の池
への登路として替わりに使ったりと、何度も足を運びました。
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・国道から民家の間を抜ける道を辿ると、この「篭渡し」があります。山村に住む人達の知恵だそうですが、
只見川上流の、「鎧」に架かっていた篭渡しは、ゾッとするほどの高さを走っていました。
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・「篭渡し」で只見川本流を渡ると、支流にあたる大白沢です。ここで、小さなハヤを釣って「つり女」デビューです。
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・シロウ沢源流荒山沢上流の、ゴルジュのトラバースするOです。雪の多い年には、雪渓の下でした。
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・ゴルジュを抜けた後の登攀です。ツルツルのリッジを、フリクションを頼りに攀る私です。
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・三段の大滝。これから上部は小さな滝が連続し、終わりは三角のデルタ状の雪田から流れが始まっていました。
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・デルタ状の残雪から湿原を辿っていくと、まったく藪漕ぎなしで平ガ岳山頂に出ることが出来ます。
これは二岐川側に少し降りた湿原にある、「玉子石」と名づけられた奇岩のある光景です。
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・大白沢から、支流の細い流れをたどっていくと、こんな大きな「白沢の池」がありました。
昭和の最後の頃に刊行された、新潟日報社の「銀山物語」のなかでは、湯之谷村で
「イワナを放流し、大きく育ったのを確認したが、繁殖は不明だ」とあります。
繁殖していれば、今頃は大きなイワナが群れをなして泳いでいる筈です。
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・クロウ沢から景鶴山を越えると、立ち入りを制限している「外田代の湿原」に出ます。釣り師が潜んでいました。
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田子倉湖をボートで渡り、白戸川から「会津朝日岳」を目指しました。
初日は、洗淀沢出会いで早めの一泊。
ありがたいことに、こんな大物が夕食を賑わしてくれました。
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・翌日は大雨。朝日岳の肩のあたりから、西面の楢戸沢に下り、滝壺に飛び込んで泳ぎ下るところ。
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アサギ同人のほとんどの者が関わったのが、中ノ岐川周辺の地域研究です。
ここは、以前から気になるところでしたが、林道に鎖が張ってあったので、
入ることはありませんでした。噂によると「中ノ岐川」から平ガ岳への新道が出来た」と言うことで、
探ってみると、確かに鎖がなくなっています。
チャンスと見て入ってみると、楽しい沢、厳しそうな沢、平ガ岳への登路として絶好な沢等、
みんなで溯るに足る魅力が一杯詰まった流域でした。






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・平ガ岳沢の大滝の登攀。轟音鳴り響く水流を瀬に、壁を登る私です。この沢の源頭は全くのメルヘンでした。
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・沢登りでは、こんなシャワークライミングは当たり前です。体が柔らかかった頃の夫です。
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・比較的易しく、落ちても怪我をしない滝つぼがあれば、ノーザイルで攀ってしまうこともあります。
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・雪渓① 見た目には少しの雪渓ですが、上を渡るのと、下をくぐるのでは大違いです。
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・雪渓② スノーブリッジほど、怖いものはありません。
空気振動さえ恐れて、意気を殺して、風のようにくぐり抜けなければなりません。
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・適度な難易度の滝やゴルジュは、次々と突破できて元気が復活してきます。
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・下カブレ沢の大滝です。沢名の言われは分かりませんが、明るい笑顔が出る大滝です。
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・大滝だけで終わりかと思っていたら、その上にも、もっと明るい滝が続きます。
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・予想しなかったほど貧弱だったり、うす暗くて気が滅入る沢もあります。
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・迫力に負けてしまうと、敗退するか、大高捲きとなりますが、負けたことはありません。
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アサギ同人では、専門誌にウンチクを載せていただくこともありました。
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このような誘いに乗って、沢登りはブームを迎えました。
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私達も沢を離れ、ブームも去ったようですが、今、ヨーロッパでは「キャニオンニング」と言う名で
アウトドアーの一つのジャンルになっているそうです。

暑い夏に、大汗をかく「岩登り」や「尾根歩き」は嫌だと、「沢登り」の涼しさに逃げ込んだはずなのに、
涼しい夏を過ごせたことはありませんでした。
ジリジリと焼け付くような夏はなかなか少なくて、多くはこの写真のような雨にたたられてしまいました。
シャワークライミングと雨、そこに照りつける太陽がないと、震えが止まりません。

でも、沢登りには、辛いことばかりではありません。
キャンプサイトは流れのすぐ脇ですから、水は有り余るほどあります。釣竿を出せばイワナ、
雪渓の消えた後には山菜、秋になるとキノコも。枯れ木を集めて焚き火をすれば、少し燻りくさく
なりますけど体の芯から温まります。

お陰様で、アサギ同人は「夏は沢登りで真っ白」「冬は山スキーの雪焼けで真っ黒」でした。








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[若い頃の山
④若い頃・夫はガイドもしました

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「若い頃」と銘打ってみましたが、私は私なりに、夫は夫なりに「若い頃」がありました。
今回は、夫の若い頃を紹介してみます。
夫はその昔、「西武池袋のスポーツ館」のカルチャースクールの講師をしていたとかが縁で、
山岳誌のガイドを務めたことがあります。本人は、モデル兼務だと言っておりますが。







・この「ナメラ沢」のガイドのコンセプトは、「沢登りをもっとオシャレにしよう。」と言うものだそうです。
そのために、短パンの下は、ブルーのスニーカーならぬ「ブルーの地下足袋」です。
どこから買い求めたものなのでしょうか?プランがボツにならなかったのは、「山と渓谷」ならではです。
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・登山道から、ナメラ沢に入り込んで行くところです。モデルの女性二人に、夫のガイドです。
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・公募されたモデルだそうですが、引っかき傷や虫刺されはなかったのでししようか?
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・一人になると、少し物寂しげに歩いているように見えてしまいます。
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・取材なので「甲武信ガ岳の甲武信小屋」にお泊りだそうです。しかも、「山と渓谷社」の取材と
あれば、歓迎されること、請け合いです。ビツプ待遇で夜を過ごしたらしいです。
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・翌日、針葉樹林のなかを「高原野菜」の産地、「清里」を目指して下山していきます。
プロのカメラはさすがです。何気ない光景を、メルヘンにしてしまいます。
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・「地下足袋」を「スニーカー」に履き替えています。
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・どういう訳か、次も東沢渓谷支流の「鶏冠谷左俣」での取材山行です。
今回のコンセプトは、「オシャレに沢を登攀」するとなっていたようです。
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・鶏冠谷を登ると、「木賊山」に突き上げる。そこから「鶏冠尾根」という、
まさに「鶏の鶏冠」のような難所を下ることにしています。
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・当時は、このすぐ上に木の橋があったのに、これは演出でしょうか?
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・このF1は、右から巻くのですが、前途厳しいことを暗示しています。
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・沢登りは、高巻くこともありますが、基本は「水線」にそって溯ることです。
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・いくら、取材だ言っても、良くやりますネェ!楽しそうです。
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・右が編集者。モデルさんを挟んで、おいしい食事だったのでしょう。
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・いつまでも遊んでいた訳ではないようで、大滝の登攀は、さすがにプロらしいバランスを見せます。
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・大滝の登攀が終わると、こんな小滝が続き、わずかな藪漕ぎで木賊山に飛び出しました。
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帰りは、ゆっくり、のんびり、取材をしたため、陽が傾いてしまい、峻険な鶏冠尾根の
下りが暗闇になってしまったということでした。







本業以外での仕事が、本業にも役立ったと夫は言っております。
ほんとうに、よき時代に、よき生き方をさせて頂きました。  感謝!!


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[若い頃の山
③若い頃・山スキー三昧
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山スキーには、いろんなところに行きました。冬から春先は全て山スキーです。
スキーの機動性の良さもありますが、滑降の爽快感がたまりません。
夫が惜しげもなく、スキーに投資するものですから、89cmを最小にして
10cm刻みくらいものが、倉庫で満を侍しています。




 同人のAさんと夫との3人で、飯豊山から南下して高陽山に至る、緩やかな尾根をツアーしました。
この写真は、早朝に三国小屋を出発して、飯豊本山に向かって滑り出したところです。
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・飯豊本山を往復したあと、高陽山に向かった途中で雪洞を掘り一泊。標高が下がったせいか、
裏山のような雰囲気になってきました。5月の飯豊連山にも、色々な顔がありました。
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 春の尾瀬にも何度か行きました。4月頃だと、尾瀬沼の上を縦横無尽に歩くことができます。
夫と、まっすぐ燧ガ岳目指します。山頂から原に降りてくる、真っ白な谷が「ナデックボ」です。
登りは、喘ぎ喘ぎ、大汗をかいてしまいましたが、一気呵成に滑降すると15分くらいで戻れます。
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・得意そうにポーすをとる夫。
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・飽き足らずに、テイシャッツ姿になってハシャギまくっています。
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・これは、Aさんとのツーショットです。みんな若かったですね。
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奇想天外な発想と言う人もいますが、夫には普通のことのようです。経験を重ねてスキーの
機動性を確信して「超ロングツアー」を試したくなったようです。
夫曰く、「一番長いルート」と言ったら、奥羽山脈。
青森から福島まで、直線でも500kmはあるだろう、しかも、誰もチャレンジすらしたことがない。

プランを立てる基本は、20万図。こんな壮大な試みはありません。夫は、常識はずれでした。





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 5月の八幡平には、今も毎年行っていますが、3月に「蒸の湯」から山頂まで登ったものです。
緩やかで大きな山です。魅力的なスキーツアーコースで、
随所に遭難防止のための、案内プレートが付いています。
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・ダケカンバに付いた霧氷が輝きます。当時は、こんなに案内板がありました。
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・山頂近くのトドマツは背が低く、見晴らしが利いてきます。
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・ほとんど山頂だと思いますが、ゆるやか過ぎて、どこからどこまでが山頂か分かりません。
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・八幡平だけでなく、大場谷地から馬見平への北方稜線も
快適なツアーコースでした。
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 会津磐梯山から猫魔山への、スキーコンパの一コマです。
この辺りは、新雪が嬉しくて、こんなにはしゃいでしまいます。
ところが、、裏磐梯スキー場から登り始めると、昨夜来の大雪で、腰を越える新雪が積もっていました。
腹が立つことに、私達に「つかず離れず」付いてくる、「ラッセルドロボー」さんがいたことを、
昨日のことのように思い出してしまいます。
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 神楽スキー場から神楽峰に登り、スキー場に向かって左側の尾根を滑る、
循環コース。背景は田代湖。田代スキー場が出来ていなかった頃の、昔話です。
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・前方のピークを登ってから、尾根伝いにスキー場に戻るのです。
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・ピークの登りは、かなりの急登です。背景は苗場山の平頂です。
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・尾瀬のエキスパートとして、春スキーの案内も「山と渓谷」に依頼されました。
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 尾瀬から平ガ岳にも行きました。女子美大の二人も一緒に、圧倒的な残雪を滑りました。
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・白沢山の分岐から、平ガ岳を望みます。ここに、BCを張って往復してきたのです。
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・山頂から尾瀬ヶ原を見下ろすと、こんな風に湿原を蛇行する川の姿が見られます。
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 別名「乳頭山」とも呼ばれるという、安達太良山。そのまんまの姿です。
「烏川源頭」の大斜面が、「はやくおいで!」と招いているようです。
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・山頂直下にスキーをデポするのが一般のようですが、
こだわって山頂岩峰から滑り出しました。
それはもう、ガリガリで、「降りた」というだけでしたけど。
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・烏川源頭の滑りは、ご覧の通りです。もう、最高の雪質と、スキー日和の青空です。
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夫とその仲間Aさんは、熱塩温泉から「栂森」~「吾妻連峰」~「安達太良山」~「岳温泉」
と言う、ロングツアーを成功させました。西吾妻でのポーズです。
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・このモンスター群の、突破に苦労をしたと言うことです。
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・中吾妻からお世話になった「西吾妻小屋」を望みます。
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奥志賀から野沢温泉へ。スノーモビルが走ってきたのには驚きました。
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・途中の小休止。こんな雪の中でも、おやつタイムを楽しんでいました。
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・カヤの平に一泊。翌日、野沢スキー場に向かうゆるやかな登りは、青空とキラキラ輝く霧氷の舞台です。
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武尊牧場スキー場から武尊山を目指して。フィンランドで言う、
トントゥ(妖精)の森のような綿帽子です。
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後生掛温泉をベースにして、八幡平と北方稜線、大場谷地と北方稜線、
焼山周辺と森吉山など、いろんなルートを楽しんでいたら、
「バラエティ」でいきましょうとなりました。
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後生掛温泉から森吉山へのスキーツアー、国見台を目指して登っているところです
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・焼山方面の真っ白な稜線は魅力一杯です。
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・大場谷地右岸尾根からブナ岱を目指します。
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・ブナ岱のブナのジャングルを突破すれば、森吉山のゆったりした山頂が見えてきます。
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・山頂付近は、純白のモンスターが群れをなしているようです。
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・山頂を少し下ると、モンスターも消えて、まもなく立派な避難小屋に着きました。
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このように、本格的に山スキーに魅入られ、虜になってしまった夫とアサギ同人の仲間達は、
○飯豊山~栂森 ○栂森~吾妻連峰~安達太良山 ○吾妻連峰~磐梯山
山形県の出羽丘陵 ○秋田駒ガ岳~吾妻連峰への脊梁山脈500km
などの、超ロングツアーを次々に成功させていきました。

八幡平から森吉山へのツアーなども、前例を見ないものでした。



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時は流れて、昨年に夫が退職。6月に、ひょんなことから、北穂高の山稜から
涸沢カールに滑降をしてしまい、昔取った杵柄に火が付いてしまいました。








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[若い頃の山
②若い頃・アサギ同人の仲間たち

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「アサギ」‥‥上信会越の春。 忘れられた渓の雪の下から顔を覗かせたばかりの
「フキノトウ」の「浅葱色」のように、いつまでも初々しさを忘れずにいようと、名付けられました。




埼玉谷峰山岳会、横浜歩友会、ゼフィールス山の会、南会津山の会、ブッシュ山の会、
RCC神奈川など、様々な山岳会に所属しながら、「沢登り」と「山岳スキー」の分野で
新しい山、未開の山を縦横に闊歩したいという、「少し変わり者?」が立ち上げたのが、
「アサギ同人」です。

会社の同僚は一人もいないのに、兄弟姉妹同然に山行を共にしたものでした。
最近では、一緒の山行もなくなりましたが、
年老いたなりに「それぞれの山」を楽しんでいます。





・アサギの会報です。1980年から1990年の11年間に5冊の会報を刊行しました。
グラビア写真以外は全て手書きなのに、4号は凝りに凝っていて、160ページもあります。
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・記念すべき第1号です。
10名で同人をを立ち上げました。
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Oさんの手書きの表紙で、素朴な感じですが、一枚めくればグラビア印刷です。
ここに掲載した写真は、すべて会報のグラビアを、デジカメで撮り直したものです。




大白沢支流の荒山沢中流での、滝の登攀です。
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・同じく荒山沢の上流部、大滝手前にあるゴルジュ帯の突破です。
大滝を越えれば、雪渓と小さな連瀑が続いて、平ガ岳に突き上げていきます。
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・2号目は、Sさんの残雪と山スキー
カタクリの花が表紙を飾りました。
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・もちろん、2ページ目からはグラビア印刷で始まります。
白戸川洗戸沢から、会津朝日岳に登った時のものです。
40cmを超える大イワナと、野生のワサビが美味しかったのを覚えています。
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・アメリカに赴任すると言う、Oさんの送別山行として、奥志賀から野沢スキー場
へツアーをしました。残念ながら、ご本人様は都合で欠席となってしまいましたが(笑)
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・Tさんの川内山塊の写真です。今は、膝に水が溜まると言って、杖をついています。
が…コンパの時、アイゼンを持参していました。(笑)
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・神楽スキー場から神楽峰周回ツアーに出かけました。背景は苗場山です。
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・3号4号も同様の手法で約1,000部を刊行し、書店やスポーツ専門店でも販売しました。
5号は、「仕事が忙しくなった」「子育てが‥」と、それぞれの都合で刊行できないままになって
いた原稿を、Tさんがコピーで「取り敢えずまとめたもの」です。
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当時は、刊行した会報を山岳誌に寄贈するのが、慣わしでした。
「山と渓谷社」で「優秀会報」を、このように紹介していただき、
お陰様で、相当数を通信販売させていただきました。
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同人メンバーは、「沢登り」と「山スキー」でユニークで先駆的な取り組みを重ね、
専門外のロッククライミングでも活躍を続けました。
そのため、月刊誌への執筆やガイドブックの執筆にも請われて、「楽しい山登り」
をアピールしてきました。

当時の知人の中には、「中高年の山登り」の講師、岩崎さんなど、会社員から
プロになった方が何人もいます。




・同人メンバーが発刊に関わった、ガイドブックなどを紹介してみたいと思います。
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・これが「沢登り」のガイドブックの始まりです。「沢登り研究会著」として
「草文社」から発刊された、関東から北アルプスまでものです。
初版が1978年で、ここから沢登りブームを引っ張っていきます。
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・編集者が独立して、版権を引き継いだのか「白山書房」刊行
となり、東京の近郊の沢を収録したものになりました。
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・沢登り「ルート図集1と2」は草文社、「スキールート図集」になると、白山書房が手がけたものになります。
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・「スキールート図集1」に続いて「ルート図集2」が発刊され、改定を続けていきました。
最初は野暮だった表紙ですが、次第に 「らしく」 なってきています。
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・「山と渓谷社」の雪山特集の中に、私が滑っている写真も登場しています。
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-
・恐れ多くも「日本百名山」になぞらえて「日本百名谷」も、白山書房から発刊しました。
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・これは「遡行資料」と銘うった「京都山の会出版局」の出版で、
約400ページもあるものが10号まで発刊されました。
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・とくに、6号と10号では、私達の山行を特集していただいたようなものでした。
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・「日本登山大系」も偶然か10号まであります。全10巻で全国をカバーする百科事典のようなものです。
しかも、「白水社」というフランス文学をメインにして、山登りとは無縁と思われる版元でなのですが、
版を重ねるたびに執筆料(印税)を送って頂く等、信じられないほど「真面目な出版社」です。
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アサギ同人の仲間とは、一緒に山登りをしたのは勿論ですが、「春の山菜コンパ」や「夏のキャンプ」に
「秋のキノココンパ」「冬のスキーコンパ」など、家族も含めてお付き合いさせていただきました。

数年前に、上州武尊山の麓で「久々のコンパ」を開いた時には、「全然変わっていないじゃないの!」
「みんな、どうして年をとらないの?」と、若かりし頃にタイムスリップした思いがしました。

今年こそは、「久々コンパ②」を是非開催したいと、考えています。




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[若い頃の山
①若い頃・ロッククライミング編

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若かりし頃の山登りを、ジャンル別に紹介していきたいと思います。


私の個人的な思い出山行は、すでにアップ済みですので、
夫と結婚してから夫婦で行ったもの、山岳会、アサギ同人の仲間と行ったものが混在しています。

今回は「ロッククライミング編」ですが、写真は余り残っていませんでした。

いろんな山で、ロッククライミングをしました。
腕を磨くために、西船橋から奥武蔵の日和田山のゲレンデまで、回数券を買って
トレーニングに通っていました。
谷川岳一の倉沢のルートは、夫に連れられ、ほぼ登りました。しかも、一日に2ルート登攀する
など、今でも先駆的と言えるスタイルを、我流(夫流)で始めていたものでした。




・本番前には、丹沢・広沢寺温泉にある、ゲレンデに良くでかけました。
このあたりが3級程度の取り付きで、この上から4級から5級程度の
フリークライミングです。(アサギ同人の仲間たちと)

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・ホールドが小さくフリクションでのぽる4級ルートを登っています。
黄色のザイルがあるあたりには、ハング気味の難ルートがあります。
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アサギ同人の合宿で、奥秩父の笛吹川支流東沢渓谷に「沢登り」と「巨大滝登攀」を目的に出かけました。
山行の一部は、山岳誌「岳人」にも特集されるなど、隣の「西沢渓谷」に遅れてデビューしました。


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・この図は少し間違っていて、「乙女の滝」の「滝記号」から左手に「乙女の滝」があって、その少し上流
右手の水線が「東のナメ」。さらにその先の左手に「西のナメ」があったと思います。
ちなみに「ナメ」とは、「ツルツルに磨かれた一枚岩」のことで、漢字では「滑」と書きます。
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・ここは、笛吹川支流東沢渓谷です。沢登りというより、クライミングの世界です。
花崗岩の巨大なナメ滝は大岸壁とも言えます。そこに、こんな甌穴がありました。
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・これが東沢渓谷で最大の、「東のナメ」です。上部約50㍍が写っていませんが、
200㍍を優に超える大岸壁となっています。
ホールドがほとんど無いため、バランスクライミングでも、狂気の世界です。
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・登攀を終えると、ザイルでの懸垂下降で取り付きの沢床に下ります。
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・こちらは、「西のナメ」の最下段50㍍の滝です。
ここもバランスとフリクション頼りの登攀です。
この近くには、「乙女の沢」と言うのもあって、
さらに切り立っています。
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6月には、毎年のように、南アルプス「北岳バットレス」を登攀しました。
下部岸壁を突破して取り付く、「四尾根」と頂上から四尾根の右手に落ち込む「中央稜」、
四尾根の左手が「Dガリー奥壁」と「ピラミッドフェース」、と言う人気ルートでした。
初めてバットレス中央稜を登攀した時、夫はさっさとパートナーと登ってしまい、
「自分達で登って!」と言われ、「はじめてなのに、私達を殺す気~」と登攀したのが
私とM、女二人のバットレスデビューとなりました。





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・雪渓の上部、一番左に見えるのが、三角の岸壁が「ピラミッドフェース」
と呼ばれるもので、バットレスで最も難しいルートの一つです。
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・最初のピッチは、夫がトップを登っていきます。少しA1の人工があったかも知れません。
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・次は、がんばって、私がリードする番です。
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・翌日は、ピラミッドフェース右側にある「四尾根」の登攀です。
Cガリーを登って、四尾根下部に取り付いたところです。
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・マッチ箱のコル手前のピークです。ここから、女子組が懸垂下降でコルに降りますが、緊張します。
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・マッチ箱のコル上部から、中央稜の登攀者。
時を同じくして雑誌「山と渓谷」に載ったものです。
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・これも「山と渓谷」の写真です。きれいに撮れるものですね !
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・登攀を終えて、北岳の山頂で。
緊張から開放されたのと、登攀できた喜びでついつい笑ってしまいます。
怖さをしらずに夫について登ってしまったのは
若かったからなのでしょうか ?
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・谷川岳「南稜ルート」最上部です。土砂降りの雨の中を登った、怖い記憶が蘇ります。
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当時の私達のクライミングは、とても先駆的なスタイルで、白い目で見られることもありました。
他のクライマーが、重たい、分厚い皮の、雪と氷を登るための、登山靴を履いていたのに、
私達は、なんと運動靴で駆け回っていたのです。

谷川岳の「第三スラブ」や、「二の沢右壁」なども、運動靴で登攀しました。

しかも、今の運動靴とは、まったく別物です。
室内用のズック靴に似た、靴底にクッションがほとんど無いものです。
現在の、クライミング専用シューズの先駆的な代用品です。
私のお気に入りは、最もフリクションの効く「世界長」、二番目が「アサヒ」の運動靴でした。
なんと、いまだに後生大事にしまいこんであります。

こんな「バレエシューズ」に毛の生えたような運動靴で、3000㍍峰を駆け回っていたとは、
昔の私を褒めたくなってしまいました。




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Posted by tomo
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