山と自然の贈り物の記録
山好きのルーツでしょうか?




 本棚を整理していたところ、こんな写真がでてきました。昭和30年初め
のころの写真です。これが、私の登山心のルーツなのかも知れません!
 






漫画の「夕日が丘3丁目」のような、自宅付近の写真だと思います。          

・「火の見櫓」と「駅の待合室」らしい建物があり、どこなのかは分かりません。
自転車を押す母と、遊んでいる私達姉妹の、信じられないレトロな光景です。
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・なぜか、お金を数えているような、私の幼いころのしぐさです。
夫は、「お金を粗末にするとバチがあたるぞ!」と冷やかします。
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「チリンチリン」という鐘の音が聞こえてきそうです。                 

・自転車でまわる「アイスキャンデー屋さん」のうしろ姿。近所に、この光景は見当たりません。
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父の 会社旅行の一コマのようです。「東館行」のバスで、どこへ行ったのでしょう。



・どこか分かりません。川が全面結氷して、スケートを楽しむなんて、信じられない光景です。
左手の土手から桟道があって、氷で遊んだり戻って休憩している様子の、写真もありました。
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当時の登山スタイルが分かります。「安寺持方入り口」か「生瀬口」から男体山に登ったようです。

・母は、父が家から歩いていったこともあると言いますが、本当でしょうか? 「竜神峡」から「安寺持方」
「男体山」までの案内とは、広大なエリアです。この時代の人達の行動範囲が、想像がつきません。
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・「電気導入記念」とあります。「安寺」に電気が通じたのは、昭和30年11月と
あります。夫は、45年頃に「持方に電気が」とテレビニュースで見たと言います。
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・「男体方面図」とありますから、「安寺」から峠を越えて「持方」に着いたのかなと思えます。
今は林ですが、当時は背景の山の斜面がきれいに整備され、豊かな畑になって生活感があります。
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・「男体山山頂の祠」のようですが、こんなに大きかったのでしょうか。
いつも気難しい父が、「こんなお馬鹿」をしていたとは、おどろきです。
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私の記憶に薄いのですが、「八溝山」に登っていたようです。                

・「八溝山」へ向かうのか、帰りなのか、「大子駅」か「上菅谷駅」の待合室だと思われます。
当時は込み合う時間もあったのでしょう、「行列を守る日本人」と言う標語が掲げてあります。
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・この登山口は、「蛇穴」バス停のところに様相が似ています。昔のままなのかもしれません。
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・林道を辿って山頂を目指します。左母、右姉で、真ん中が私です。相当暑い時期のようです。 
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・今も駐車場脇にある、「白毛水」の水場に似ています。水も豊かだったようです。
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・林道を離れると、こんな杉林のなかの登山道もあったようです。
山頂への道ではなく、「日輪寺」への、参道なのかも知れません。
途中、道に飛び出してきた猪に、大騒ぎした記憶があります。
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・林道の終点だと思います。当時も、ここまで車で登ってくるお金持ちがいたようです。
私は、車では登れなかったように記憶しているのですが、背景は、登山口とは思えません。
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・今では、お城をかたどった展望台がありますが、「ヤグラ」と呼ぶべきなのか、頂上です。
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・疲れた様子のうしろ姿ですが、「蛇穴」に向かって歩いています。無事下山したようです。
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 父と私達姉妹。背格好から見て、私達が小学生の頃、家の前の光景です。


・すべてが母の手作りの洋服ですが、かなり現代に近づいてきました。
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毎年裏磐梯にスキーにも行っていました。                    


・たくさんのスキー客がいるので、猪苗代駅か郡山駅のホームでしょうか?
「馬ソリ」が駅まで迎えに来て、吹雪の中を走っていたのを覚えています。
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・スキー場では、「歩く」か「Tバーリフト」が主流でした。
シングルリフトも出来ましたが、多くは歩いていたようです。私の右が母です。
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・小さいながらも、一生懸命登っている私のうしろ姿です。八の字ができています。
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・遠目には、今のスタイルと変わり無いように見えますが、
「竹ストックに皮のリング」がついたもので、「節」が見えます。
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・こんな滑りが多かったように思います。夫は「あっち向いてホイッ」と言っています。
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・父が好きだったのでしょうか、家族・父の兄弟に近所の子も連れて行っていました。
毎年、お正月に出かけていたので、ウェアの違いは、出かけた年が違うものです。
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・父と埼玉谷峰山岳会のニアミス。私の目も自慢ですが、因縁を感じてしまいます。
二十年近く経ってから後輩と私達が出会い、古いアルバムから偶然再出会いをしたものです。
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「八溝山」に登ったり、「「竜神峡から男体山」に登った他に、、「那須」や「北ア涸沢や横尾
でのテン泊」の様子を写した写真もありました。その中の一枚、涸沢の写真のテントに「埼玉谷峰
山岳会」と言う名前があったのには驚きました。私達の同人仲間が30年くらい前まで所属してい
た山岳会ではありませんか。父親の時代から続いていた、由緒ある山岳会だったらしいのが驚き
ですが、父と先輩たちがニアミスしていたなんて、ほんとうにめぐり合わせと言うものでしょうね!



昭和30年代前半に、「スキー」「スケート」「山登り」に親しんで育ってきていたのです。
写真を見ながら、「これが、あなたの「山が好き」のルーツだよ。
なにかしら親の血をひくものなんだねえ!」と、夫が感心していました。






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Posted by tomo
comment:2   trackback:0
[思い出
comment
ワー!
かわいい~!
家族、みんなでの第一声でした。

これは本人も自慢できるスナップ!
御両親のどちらが撮ったのでしょうか。!
この様な雰囲気を写真に残すのは難しい
シャッターチャンスですね。!
感動しました。
2枚目の写真最高~!
2012/12/26 18:48 | | edit posted by yoshinari
yoshinariさんへ
嬉しくなるコメントを有難うございます。
父は、写真が趣味の時があって、自分で
現像までしていました。ほかの写真は
ピントが甘かったり、ただのスナップ
なのですが、なぜかこの写真だけが鮮明
だったのです。
50年以上も前のことは、なかなか思い
出せませんが、写真を見て蘇ってくるもの
があります。
父が喜びます。
2012/12/26 22:41 | | edit posted by nagai
comment posting














 

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